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● 鉄はなかったのか?

 作中の蝦夷の村には、石段作りのアワ・ヒエ畑が描かれている。弓矢の鏃も石製であり、石加工の技術が盛んな風習があると思われる。しかし、これを短絡的に「その風俗には、古のまま、時がとまってしまったかのような(『月刊アニメージュ』九七年四月号)」などと解釈していいのだろうか。
 史実に照らせば、蝦夷は高度な鉄加工技術を持っていた。東北地帯の製鉄は、砂鉄ではなく磁鉄鉱を用いたものが盛んであった。中国・朝鮮からの鉄鉱石(近世には「南蛮鉄」と呼ばれた)や加工品された鉄器の輸入も行っていた。
 「蕨手刀」と呼ばれた蝦夷特有の内反り型短刀も鉄製であった。アシタカの刀も鉄製ではないか。蝦夷は騎乗して短刀で相手を突く接近戦と、中距離から弓矢で射る戦法が得意であった。その戦力は歩兵十人分に匹敵する強さだと言われていた。
 「隠れ里」に住むようになって、鉄とは無縁の生活を余儀なくされた末に石器主流の文化に逆行したのか、あるいは鉄は貴重品として珍重されていて、農具や加工器具にしか使われなかったのか。大木を伐採して組んだ監視櫓などの土木建築、狩猟や農作業、調理、衣料品加工など、いかに自給自足とは言え、その生活水準は鉄器が皆無とは思えない。
 また、アシタカの携帯する木椀も、轆轤か彫刻刀などの鉄器で加工されたものと考えた方が自然だ。先代から伝えられたものか、里で秘密裏に交換したものか、いずれにせよ珍品のようだ。漆塗りの赤はアイヌ文化を彷彿とさせる。(椀を携帯する風習は前述のようにブータンにもある。)
 いずれにしても、鉛玉=鉄滓を知らないことから、「鍛冶はあっても製鉄技術はない村」と解釈すべきではないか。尤も、人目を忍ぶ目的の「隠れ里」で派手に火を焚く製鉄作業が出来る筈はなく、技術は先祖が放棄(または禁止)したとも考えられる。

蕨手刀。千歳市で発掘された。(古代の蝦夷/工藤雅樹)

● 石の信仰

 アシタカが占いを受ける寄合小屋には、壁から突き出た岩石が「御神体」として祭られている。彼らは石を信仰する民族なのだ。
 柳田國男氏によれば、石神信仰には石を神の依代・磐座とする信仰と、石そのものに精霊が宿って霊異を示す信仰に二つの系統があると言う。石神は東京の「石神井」の地名に明かなように、「シャグジ」とも呼ばれていた。全国にある石の地蔵が将軍塚と呼ばれることが多いのは「シャグジ」の語源に由来するという説もある。石神や地蔵塚は、土地の境界線、生死の境界線(死者供養)などの「境」の役割があったする説もある。
 『日本書紀』の『斉明紀』によれば、六五七年に斉明天皇が蝦夷の使いを「須弥山の像」という石の像を作ってもてなしたとある。その場所は現在の石神遺跡(奈良県)に当たる。仏教的石神を与えることにより、下級民族を教化する意味があったという説があるが、これも「貴賤の境」の意味があったのかも知れない。あるいは、蝦夷に石神信仰が盛んだったのか。なお、作品の舞台となった出雲にも、石神を祀った神社がある。
 作中に引きつけて解釈すれば、大和との「境を護る」意味で石神を祀っていたとも考えられるし、金属器に頼らない石の文化そのものを祀っていたのか、あるいは縄文文化的自然信仰の類であったのかも知れない。