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●自然の概念―里山か原生林か

 映画『もののけ姫』は、一言でくくれば、人間が原生林を破壊して焦土と化した地に、奇跡的に緑が芽吹いて二次琳と里山が復活するという内容である。
 これまでのスタジオジブリ作品で描かれた日本の「自然」は、主に里山である。それは水田と畑を含む風景であり、草木や川を人間が長年管理して作り上げた言わば人工の自然である。そこは二次林である雑木林に、痩せ地に強いマツやスギなどの針葉樹が植林され、クリやカキやモモなど果樹も豊富にある。適時農民によって管理され、下草が成長し過ぎることもなく、大樹は神として祀られている。明るい陽射しにあふれ、農耕の便に富み、散策や採集にも適した場所である。それは、自然と人間の共生の歴史が生み出した調和のとれた空間であり、「森の民」である日本人独特の文化である。だからこそ、懐かしく落ち着く場所なのだ。
 高畑勲監督作品『おもひでぽろぽろ』では、この観点がはっきりと打ち出されている。人工の自然なればこそ、人はその風景を懐かしく思うのであると。『平成狸合戦ぽんぽこ』でタヌキたちの願いも虚しく消滅していく故郷も、やはり里山である。これらの作品では、日々数を減らして行く北と東の日本の里山が美しく表現されていた。原生林の乏しい現代日本にあっては、農村と里山が自然の代名詞なのだが、それすら滅ぼそうとする「エコノミックアニマル」のエゴは悲しいほど深い。 
 一方、宮崎監督の『となりのトトロ』では、周辺環境は見事な里山だが、トトロの棲む塚森は里山らしからぬ暗い「鎮守の森」である。位置的にはどう見ても里山であるが、宮崎監督の思いが原生林に近い森となったのではないか。里山には人やタヌキが棲んでいる。しかし、神の宿る恐ろしい森は照葉樹林でなければならないのだ。『トトロ』が、里山さえ乏しい現代を舞台に出来なかった理由の一つは、ここにあったのではないか。
 人は、暗闇の原生林を伐採し、都合のよい改変を施して明るい里山を作り出して来た歴史を持つ。それは人間中心主義の観点からは懐かしく素敵な森であるが、自然本来の生命力の成せる森ではない。人間には恐ろしく凶暴なものであっても、本来の姿は神秘的な生命力の宿る闇の原生林なのである。
 宮崎監督は、自然との共生思想の現実性に於いて、里山の大切さを充分認識しながら、一方で原生林征服という人間の大罪も描こうと試みている。本来の自然の征服から人の文明は始まったのである。同時に、「人と自然がどう関わるべきか」という大テーマもここから始まったのである。宮崎監督は、『もののけ姫』の制作に当たり「ジブリのこの十年の歩みを嘘にしないために作った」と語っているが、その真意もここにあったのではないか。
 また、宮崎監督は、作中で北方の美しいナラ林と南方の恐ろしい照葉樹林、さらに懐かしい里山を明確に描き分けるため、五人の美術監督をわざわざ出身地域別にシフトしている。徹底的に文化圏の描き分けを行うことを意識した何とも贅沢な人選である。
 余談ではあるが、東京都出身の宮崎監督が南方の原生林に憧れ、三重県出身の高畑監督が雑木林の里山(それも東北)を描き続けているのは、東西が逆転しているような気もして興味深いことである。

参考文献
『照葉樹林文化と日本』中尾佐助・佐々木高明著(くもん出版)
『栽培植物と農耕の起源』中尾佐助・著(岩波新書)
『照葉樹林文化』上山春平・編(中公新書)
『続・照葉樹林文化』上山春平・佐々木高明・中尾佐助・共著(中公新書)
『料理の起源』中尾佐助・著(NHKブックス)
『照葉樹林文化の道/ブータン・南雲から日本へ』佐々木高明・著(NHKブックス)
『日本文化の基層を探る/ナラ林文化と照葉樹林文化』佐々木高明・著
(NHKブックス)
『森の日本文化/縄文から未来へ』安田喜憲・著(新思潮社)
『時代の風音』堀田善衞・司馬遼太郎・宮崎駿・著(朝日文芸文庫/UPU)
『出発点[1979〜1996]』宮崎駿・著(徳間書店)