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●東北日本の源流たるナラ林文化
一方、日本の北半分はナラ、ブナ、クリ、カエデ、シナノキなどの温帯落葉広葉樹林に覆われていた。南方に連なる照葉樹林文化に比して、朝鮮半島から東アジア一体に連なる温帯落葉広葉樹林帯の文化を「ナラ林文化」と名付けたのも中尾佐助氏であった。
ナラ林文化の特徴は、照葉樹林帯よりも食料資源が豊富であったことだ。砕けば食べられる堅果が大量に落ち、日光照射もあるため森の下草である植物種も豊富である。そこには当然狩猟対象となる動物も多い。
堅果類(クリ・クルミ・トチ・ドングリ)、球根類(ウバユリなど)の採集。トナカイ、熊、鹿、海獣の狩猟。そして、川にのぼって来るサケ・マスの漁撈。これらの狩猟・採集文化により、一定の人口までは充分に生活出来たのである。日本の縄文文化は、主にナラ林文化の下で発展した。事実、縄文時代の遺跡群は圧倒的に東北日本に集中している。
稲作と鉄器の文化は、弥生時代に渡来人によって伝えられたと言われる。弥生文化は、北九州を起点に、食料資源の少ない照葉樹林地帯には急速に広まったが、中部以北にはなかなか伝わらなかった。南とは食体系が違い、北では採集・狩猟・畑作資源が豊富なのであるから、わざわざライフスタイルを壊して稲作を始める必要がなかったのである。しかし、稲作を基盤として成立した大和朝廷は、武力制圧によって強引な稲作同化・単一文化圏化を押し進めた。縄文人は、北へ北へと追いやられながら文化圏を維持していた。後述する蝦夷と朝廷の戦争は、縄文人の末裔と弥生人の末裔の闘いであった。
純粋なナラ林文化は、照葉樹林文化と融合した稲作文化に吸収され、十二〜十三世紀にはほぼ崩壊したとされる。
中尾氏と共同研究を進めて来た佐々木高明氏は、このナラ林文化と照葉樹林文化の学説を民俗学・考古学と結びつけ、日本の根幹には東西別個の文化圏があったとしている。氏は、土器・方言・味覚などに広げて、東西の文化の違いについて興味深い分析を行っている。(NHKブックス『日本文化の基層を探る』)
『もののけ姫』は、ナラ林文化圏の蝦夷の少年と、照葉樹林文化圏の森林で育った少女が出会う物語である。少年と少女の出会いは、日本人の源流である二つの森林文化の出会いを描いたものでもあるのだ。
「照葉樹林文化論」と宮崎監督作品の関連を以下、簡単に追ってみたい。
宮崎監督が、この「照葉樹林文化」論を最初に反映させた作品が『風の谷のナウシカ』である。この作品で宮崎監督は、最終戦争で荒廃した大地を必ず砂漠として描く西欧産SF(実際中東やヨーロッパでは森林が蘇生せずに禿山と化し、やがて砂漠化した)の逆説として、「腐海」という独特の生態系を持つ不気味な森林を作り出した。再生不能の砂漠でなく、森の自浄作用による再生を描く下りは、まさに森の民である日本人ゆえの発想の転換である。
『天空の城ラピュタ』に登場するラピュタを覆うもっこりとした大樹も、紅葉・落葉しない常緑樹であり、照葉樹のようでもある。ここでも、文明が消滅して無人化した地には原生林が茂るという発想が貫かれている。
『となりのトトロ』では、トトロの宿る塚森の大樹は照葉樹のクスノキであった。ついでに言えば、「樹と人は仲良しだったんだよ」と語る物わかりの良いお父さんは、何故か考古学者であった。この作品には、「日本人の心の故郷は、縄文の昔を彷彿とさせる照葉樹林なのだ」というメッセージがさり気なく込められていたのだ。
『もののけ姫』のメイン舞台となる「シシ神の森」はまさに照葉樹林であり、これは絵コンテでも強調されている。制作にさきがけて行われた屋久島へのロケハンも照葉樹林を肌で感じる意味あいが大きかったと言う。
また宮崎監督は、主人公アシタカの住む蝦夷の村の風俗・衣裳の参考にブータンや北タイの焼畑農民を参考にしたらしい。後述のように、蝦夷は縄文人の末裔と言われている。(『週刊朝日』九六年一月五・一二日合併号掲載・司馬遼太郎氏との対談)アシタカが粥をすする椀は、ブータンの携帯用小鉢に良く似ている。タタラ場の板を連ねて石を乗せた屋根にも、ブータンの古村にある家屋の影響が伺える。アシタカの衣裳は、同じ照葉樹林帯でも中国南西部のヤオ族の民族衣装に似ているようだ。
なお、ブータンは、照葉樹林文化の西端に当たる。最古の風習を現在に伝えている地であり、中尾氏のフィールド・ワークの出発点ともなった土地である。北タイ、中国南西部の風習も中尾氏の著作に詳しい。